社会に開かれた、次世代の教育のあり方が模索されている、昨今。異なるフィールドから、新たな教育の「創り手」側に飛び込もうとしている人もいます。このインタビューではLX DESIGNの仲間を紹介し、その素顔、本人を突き動かす動機や挑戦にかける思いに迫ります。
今回はもうすぐ入社して丸一年、LX DESIGNでICT支援事業やイベント運営など様々な事業に携わる光武磨凛(24)を取り上げます。様々な地域の教育現場に足を運び、先生や生徒たちの生の声を聞いている光武。「学校現場には、その『中』にいてはなかなか気づけない、かけがえのない価値や絡み合った課題がある。『外の人』として、それが何なのか紐解きたい」と語る光武に話を聞きました。
そこは窮屈な田舎?それとも感性を育む最高の場?
「搾りたての牛乳。有田焼で食べる給食――。『外』から眺めてはじめて、自分が生まれた場所の豊かさに気づいた」
佐賀県で生まれた光武磨凛(以下、光武)。自然豊かな環境で育ちながらも、小学生のときに見た海外ドラマの都会的な雰囲気に憧れて、海外への興味を募らせていったといいます。
「窮屈な田舎の外には、きっと私の知らないキラキラした世界が広がっているのだろう、と羨ましく思っていました」
ところが中学2年生のときに引っ越したことで、窮屈に感じていた佐賀の公立小学校での「当たり前」が、実はとても豊かな体験だったことに気づきます。
「牧場の方が小学校に牛を連れてきてくれて、みんなで乳搾りをしたことがあります。搾りたてのミルクを瓶に入れて振って、手づくりのバターにして、パンに塗って食べた。すごくおいしかったです。
それから転校した先の中学校で、給食の器がプラスチック製であることに私はとても驚いたんです。というのも、佐賀県の学校では、有田焼の器で給食を食べるのが当たり前だったから。校舎のあちこちに地元でつくられた焼き物が使われていて、授業で土を練り焼き物をつくる機会もありました。なんて恵まれた環境だったのだろうか、といまは思います。学校という場所を通じて、その地域に根付く“ホンモノ”の文化に、触れさせてもらえていたんですね」
窮屈で退屈な田舎だと思っていた学校。でも「外」から眺めてはじめて、そこが豊かな感性を育む教育の場であったことに気づいたのです。
「中にいると必然的に気づけないことがある。今『閉鎖的な空間で生きている』と苦しく感じている子どもたちも、ひょっとしたら『外』から自分のいる場所を見てくれる大人と出会うことで、自分を取り巻く空間への見方が変わったり、自分を誇らしく思えたりするのかもしれない」
その気づきは今、光武がLX DESIGNで取り組む仕事に通じています。講師が学校や地域の魅力を『外』の視点から発見し、その視点に触れた子どもたちが、自分のいる場所を再定義する。そんな機会を創出する仕事です。
「『外』を知ると『中』の価値に気づくことができる。だとしたら、一見した限りでは価値がなさそうに見えるもの――時には、退屈、理不尽、くだらないなどとマイナスに評価してしまいそうなことに対しても、見方が変わっていくような気がするんです」
教員を諦めたあとに宿った想い。同じ志を持つ人を見つけた喜び
あまり勉強ができなかった高校時代、光武には熱心に指導してくれた先生がいました。今となってはその先生を「恩師」と呼んでいる光武ですが、当時は勉強ができなければダメ、とも感じてしまい、もっと自分を見てほしいと先生に反発する気持ちもあったといいます。
ところが、その先生への反発心が高じて「教師とは一体どんな仕事なんだろう」「日本の教育はどうなっているんだろう」と教育への興味が湧いてきたと光武は語ります。そこで大学では教職課程に進み、さらには教育を通じた地域創生を行うNPOに所属して、地域の子どもたちの教育支援などの活動を行いました。
NPO活動で子どもたちとかかわる中で、子どもがさまざまな大人と関わる意義について実感した出来事があったそう。
「NPO活動で、カメラを使って子どもたちと一緒に町を再発見するプロジェクトを行なったとき、その地域の中学生が参加してくれたことがありました。一緒に写真を撮って、写真展を開いたこともあるんですけど、そうしたら写真に興味が湧いたのか、写真の専門学校に進学したんですよ。たったひとときのかかわりであっても、真摯に向き合えば、子どもたちのその後の人生が大きく変化していくこともあるんだと学びました」
その一方で、教職課程が進むにつれて「自分が本当に教員になっていいのか」と悩み始めた光武。昨今の学校現場の働き方にまつわる問題や、学校を取り巻くさまざまな課題をおぼろげに感じながらも「一体どこに問題の根っこがあるのかわからず、もやもやする気持ちが晴れなかった。こんな自分が教壇に立っても、余裕がなく日々の授業や雑務に追われるばかりになってしまうかもしれない」と理想像を失い、教員免許を取得したものの教師になることを断念。大学を卒業したのち、佐賀に帰って、自分が本当にしたいことを考えることにしました。
生まれた町に戻り、地方で暮らす子どもたちにできることはないかと考えた光武に一つの想いが宿ります。
「生徒たちに、学校現場で出会えない人、『外』の世界を知っている人たちをたくさん会わせてあげられる人になりたいと思ったんです。そんな機会をつくることができたら、ただ単に生徒たちがいろんな世界を知ることができるというだけではなくて、『外』の視点から生徒たちがいる場所を再発見できるかもしれない。そうして視点が変わると、生徒たちが自分でも知らなかった興味や好きという気持ちを見つけることにもつながっていくだろうと」
ところがすぐに「いや、それを一人でやるのは無理なんじゃないか」と現実に引き戻された光武。
次の瞬間、こう考えました。
「私が思いつくくらいなのだから、既に挑戦している人が、世の中に一人くらいはいるんじゃないか?」
ネットで情報収集を行って、LX DESIGNの存在を知った光武。すぐに長文のメッセージを書き「興味があるので、お話を聞かせてもらえませんか」と送りました。
「とにかく嬉しかったんです。私がやりたかったことをやろうとしている人が、やっぱりいた! 嬉しい!!って。もうメッセージを打っている段階から『私も仲間に入りたい。一緒にこの活動に挑戦したい』という思いが止まらなくなってしまって、必死に『落ち着け、落ち着け』と自分に言い聞かせたことを覚えています」
そうして昨年6月、光武はLX DESIGNに入社しました。
ペンキ塗りは先生の仕事? 異なる思いの間で揺れながら
現在は主に、学校向けの授業コーディネーターとして授業を提案したり、大学との連携方法を考えたりする仕事をしている光武。そのほかに、スクールアシスタントとしてさまざまな小学校に出向き、学校現場の課題をヒアリングしています。学校現場の実情を知って、今後民間の人材がどのように学校を支援していけるのか、どんな業務なら民間の人材がサポートできるのかを考えているところだといいます。
「外の人」として「中」に入ると、気づくことがたくさんあると言います。
「一言で“教員の多忙化”“アウトソーシングが必要”と表現するのは簡単なのですが、それだけでは片付けられないような人間の感情の機微が、現場にはあると気づきました。
たとえば、あるとき学校にヒアリングをしたところ、校舎の壁のペンキ塗りを、現場の先生方が自分たちの手でされていることがわかりました。『この仕事は絶対、外部の業者に任せたほうがいい。ペンキ塗りに時間を使うくらいなら、授業準備をしっかりやりたいと考えている先生方がたくさんいらっしゃるのではないか』と私は思ったんです。
ところが先生方は『長期休みが明けて、子どもたちが登校してきたときに、壁がきれいになっていたら子どもたちが笑顔になるんだよ。それを見るのがすごく嬉しい』とおっしゃったんです。それを聞いて『毎日子どもたちと接し、子どもたちのやる気や喜びを大切にしている先生たちだからこそ、これは先生の仕事ではないから今日からやめましょう、と簡単には片付けられない仕事をたくさん抱えているんだ』と痛感しました。
一方で、ペンキ塗りに追われて授業準備の時間が取れず、持ち帰り仕事などを余儀なくされている先生方がいるということは、冷静に見るとやっぱり問題があります。
現場に出ると、いろいろな思いの間で揺れることばかりですね。何が課題なのか。本当に解決しなければいけないことは何なのか。人の心の機微もしっかりとらえながら、見つけていかなければと思います」
光武は繰り返し「私は現場で働く先生方とは違う。教育現場をわかっているとはとても言えない」と語りました。でも、一度は教員を志した者として、これから教員を目指す若い世代の人たちに思いも寄せながら「教員になりたいと熱意を持っている人たちが、希望を持って働ける場所をつくりたい」とも話します。
「外の人」として「中」を知り、その良いところに光を当てながらも、変革すべき真の課題を考える。疑問に思うことも腑に落ちないことも、まだまだたくさんあるのでしょう。すべて嘘なく見つめて、揺れながら、迷いながら、自分に宿った想いを立脚点に光武は進んでいます。
取材・文/塚田智恵美